神さまのお話し

七福神について

七福神は、福徳をもたらす神々として広く庶民に親しまれています。初めはいろいろな神を福神としてきましたが、次第に恵比寿(えびす)・大黒(だいこく)・弁財天(べんざいてん)・毘沙門天(びしゃもんてん)・布袋(ほてい)・福禄寿(ふくろくじゅ)・寿老人(じゅろうじん)に定着してきました。場合によっては、寿老人の代わりに吉祥天(きっしょうてん)をいれることもあります。福徳、中でも金運をもたらす神々として信仰が盛んになるのは室町時代のころからです。
大国主神(おおくにぬしのかみ、大黒さま)・言代主神(ことしろぬしのかみ、恵比寿さま)は親子神で、古来より日本で福の神として信仰されてきた神々です。恵比寿さまは海運守護・商売繁盛の神、大黒さまは福徳の神といわれます。布袋さまは実在の人物で、中国の禅僧です。弁財天・毘沙門天は、インドの仏教の神々です。福禄寿・寿老人は中国の道教の神々で共に長寿を象徴します。

【恵比寿】(恵比須・夷・蛭子)
狩衣・指貫に風折烏帽子を着け、右手に釣ざお、左手に鯛を抱える。事代主神や蛭子尊をさすともいわれる。海運守護・商売繁昌の神。

【大黒天】
頭巾をかぶり、右手に小槌、左手は背負った大きな袋の口を握り、米俵の上に乗っている。インドの神であるが、「大黒」が「大国」に通ずるところから、大国主命と混同される。福徳の神で、恵比寿とともに広く民間に信仰されている。

【毘沙門天】
黄色くて怒りの相を表し、甲冑を着け、手には宝塔を持つ。別名を多聞天という。インドの神であり、財宝の神として信仰されている。

【弁財天】
「弁天」と略称で呼ばれることもある。その像にはいろいろと種類があるようだが、琵琶を弾じている女像が代表的な像とされる。本来はインドの神で、農業神でもあったが、のちに音楽や芸能、知恵の神となった。

【布袋】
中国で実在した禅僧布袋和尚を神格化したものといわれる。肥満体で腹が出ていて、布の袋を持つ。円満の神。

【福禄寿】
中国の仙人に由来するといわれる。背が低くて頭が長く、髭が多くて経巻を結びつけた杖などを持つ。長寿を授ける神。寿老人との混同がある。

【寿老人】
背が低くて白髪を垂れ、髭が長くて杖やうちわを持つ。長寿を授ける神。福禄寿との混同がある

お稲荷さま

全国の神社の中で最も多いといわれているのが稲荷神社で、総本社は、京都の伏見稲荷大社(ふしみいなりたいしゃ)です。
ご祭神は宇迦之御魂神(うかのみたまのかみ)で、大宜津比売(おおげつひめ)、保食神(うけもちのかみ)とも称されています。「稲 荷(いなり)」は「稲成(いねな)り」から変化したともいわれ、もともとは農業の神さまとして信仰されていましたが、現在では結びの信仰(ものごとを生み増やす生成発展の信仰)から、諸産業の神さま、特に商売繁盛の神さまとしても信仰されています。
稲荷神社の社頭には、朱塗りの鳥居が幾重にも建てられていることがありますが、朱色は生命の活性化、躍動感を表すといわれ、災厄を防ぐ色ともいわれます。また、狐の置物もよく見られますが、これは田の神、山の神の信仰との結びつきと考えられ、稲が実るころに山から人里近くに姿を現す狐の姿を、人々は神さまの使いと考えたと思われます。
稲荷神社のお祭りは「初午(はつうま)祭」が有名です。これは、伏見稲荷大社の神さまが三ヶ峯(みつがみね)に天下(あまくだ)られたのが、和銅四年(七一一年)旧暦二月の初午の日であったことに由来し、毎年二月の最初の午の日にお祭りが行なわれます。

山の神さま

山の神は、生産をつかさどる神さまです。それもありとある全てのものをつかさどっているといえます。なぜなら猪、鹿などの獲物(えもの)や山の樹木、銅や鉄、田を潤す水に至るまで、山からもたらされるものは全て山の神のお陰だと信じられてきたからです。特に狩猟や林業、炭焼きなど山仕事をする人々にとっては、大切な生活の糧(かて)を与えてくれる神さまとして厚く信仰されています。また、田の神と山の神は同じ神さまだともいわれ、山の神は春になると人里に降りて田の神となり、稲を守り豊穣(ほうじょう)をもたらし、秋に収穫が終わると山に帰ると信じられています。

日本の神さま

わが国には、八百万(やおよろず)の神さまがいらっしゃるといわれます。八百万とは、数え切れない程たくさんという意味で、『古事記』(こじき)や『日本書紀』(にほんしょき)に記載され、神社におまつりされている神さまだけが、その全てではありません。もともと、四季の移りかわりに敏感に反応しながら生活のいとなみを続けてきた日本民族は、農耕民族として太陽や雨などをはじめ、自然の恵みは、何よりも大切なものでした。自然界に起こる様々な現象、天変地異、それを神さまの仕業として畏(おそ)れ敬(うやま)ったことに信仰の始まりがあります。そして自然をつかさどる神さまは、私たちの生活のすべてに関わる神さまとして、人々に崇(あが)められるようになったのです。